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東京地方裁判所 昭和25年(ワ)2560号 判決 1956年9月25日

原告 新島博

被告 亡宮城実訴訟承継人 宮城多栄子 外二名

主文

被告等は原告に対し東京都文京区駒込浅嘉町百二番地宅地二百六坪三合三勺のうち別紙<省略>添附図面表示のル、キ及びリ、ノの各二点を夫々結んだ直線上に設置された高さ一間、長さ一間の板塀を収去せよ被告等は原告が右宅地のうち右ル、リ、ノ、キ、ルの各点を順次に結んだ直線によつて囲まれた部分を通行することを妨害してはならない。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを二分し、その一を原告、その余を被告等の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、被告等は原告に対し東京都文京区駒込浅嘉町百二番地宅地二百六坪三合三勺のうち別紙添附図面表示のリ、ヌ、タ、ソ、リの各点を順次結んだ直線によつて囲まれた部分二坪六合二勺を、右リ、ソの二点を結んだ直線上に設置された高さ一間、長さ三間半の板塀及び同図面表示のマ、ケ、フ、コ、エ、テ、ア、サ、マ、の各点を順次に結んだ直線によつて囲まれた土地の上に所在する木造セメント瓦葺平家建居宅一棟建坪二十八坪のうち同図面表示のタ、レ、テ、ア、タの各点を順次結んだ直線によつて囲まれた土地の上存在する部分を収去して引渡せ及び主文第一、二項同旨並びに訴訟費用は被告等の負担とするとの判決を求める旨申立て、その請求の原因として、東京都文京区駒込浅嘉町百一番地宅地百三十八坪五合三勺(別紙添附図面表示のイ、ロ、ハ、ワ、イの各点を順次に結んだ直線によつて囲まれた部分)及び同所百二番地宅地二百六坪三合三勺(同図面表示のハ、ニ、ホ、へ、ト、ル、ハの各点を順次に結んだ直線によつて囲まれた部分)は訴外伊藤重兵衛の所有であるところ、同人は昭和十九年五月以前から訴外高橋茂に右二筆の土地を普通建物所有の目的で賃貸し、高橋は右百二番地の宅地のうち別紙添附図面表示のチ、ヌ、タ、ツ、チの各点を順次に結んだ直線によつて囲まれた約十六坪の土地の上に木造瓦葺平家建住家一棟建坪十坪五合を建築所有しており、原告は弟新島力を代理人として昭和十九年五月一日右高橋から右建物を賃料一カ月金十八円、毎月二十八日限り支払い、敷金五十円前払いの約で期間の定めなく賃借し、爾来右建物に居住してきたが、右建物は昭和二十年五月二十五日空襲により滅失した。そこで原告は新島力を代理人として昭和二十一年九月十五日頃罹災都市借地借家臨時処理法(以下処理法という)第三条の規定により高橋に対し右賃借建物の敷地約十六坪について同人が有する賃借権の譲渡の申出をしたところ、高橋はこれを承諾したので、原告は爾後右土地について高橋が前記伊藤に対して有していた賃借権を取得した。そしてその内容は高橋が従前有していた借地条件と同一であるが、その存続期間は残存期間不明であるから、処理法第十一条の規定により少くとも昭和二十一年九月十五日から十年間であり、右賃借権は同法第三条の規定によりいわゆる優先的効力を有し、一般第三者に対抗し得るものである。ところが被告等の先代宮城実は昭和二十五年二月頃から前記百二番地の宅地のうち別紙添附図面表示のマ、ケ、フ、コ、エ、テ、ア、サ、マの各点を順次に結んだ直線によつて囲まれた部分に木造セメント瓦葺平家建居宅一棟建坪二十八坪を建築し、さらに同図面表示のヲ、ワ、オ、ク、ヤ、ニ、ラ、ヰ、リの各点及びル、キの二点を夫々結んだ直線上に高さ約一間の板塀を設置し、夫々所有していたが、右宮城実は昭和二十七年九月六日死亡したので、その妻である被告宮城多栄子、長男である被告宮城宅郎、次男である被告宮城達郎が右建物及び板塀の所有権を相続により取得したものであるが、右板塀のうち右図面表示のリ、ソの二点を結んだ直線上に設置された部分及び右建物のうち同図面表示のタ、レ、テ、ア、タの各点を順次結んだ直線によつて囲まれた土地の上に存する部分は、いずれも原告が借地権を取得した前記約十六坪の土地の上に跨り存在するものであるところ、被告等は右土地を占有するにつき原告に対抗できる正当な権原を何等有しないものであるから、被告等は右建物及び板塀の各部分を所有し右土地のうち別紙添附図面表示のリ、ヌ、タ、ソ、リの各点を順次結んだ直線によつて囲まれた部分を占有することにより原告の前記借地権を侵害しているものであつて、被告等は原告に対し右建物及び板塀の各部分を収去して、右に表示した部分の土地を引渡すべき義務がある。

前述のように原告は前記約十六坪の土地について借地権を取得し、同地上に木造木板葺平家建居宅一棟建坪七坪(右図面表示のユ、メ、ミ、シ、ヱ、ヒ、モ、セ、ユの各点を順次に結んだ直線によつて囲まれた土地の上に存在する)を建築所有しているのであるが、右約十六坪の土地は南、東、北側は高橋が賃借している土地により、西側は他人の土地により囲繞されていて公路に通じないいわゆる袋地であるから、原告は公路に至るため右囲繞地である高橋の借地部分を通行し得る袋地通行権を取得したものである。そして原告が通行し得る場所としては通行権者たる原告のために必要にして、囲繞地たる高橋の借地部分に損害の最も少いところを選ぶべきものであることは民法第二百十一条の規定の類推により明らかであるところ、原告は日常生活上原告の右借地部分の南方に位する通称動坂大通り(別紙添附図面表示のイ、ロの二点を結んだ直線に平行して走る道路)に出る必要があり、もともと戦災前原告が高橋から前記建物を賃借していた当時、高橋は前記百一番地及び百二番地の宅地上に右建物の外九棟の建物を建築所有しており、原告の右賃借建物から右動坂大通りに出るための通路として別紙添附図面表示のカ、ウ、ネ、ナ、ム、ヨ、カを順次に結んだ直線によつて囲まれた部分に巾一間の袋小路が設けられておつたものであり、またもし右大通りに出るために高橋の借地のうち原告の借地の北方側の部分を通行するものとすると、南方側を通行するよりも徒歩で十分以上迂回しなければならなくなり、また北方側公路は原告の居住地と行政区劃の町名も異り、原告の通勤、配給物資の受領、便所の汲取など日常生活上絶大な不便を感ずることになるから、原告としては高橋の借地のうち原告の借地の南方側を通行して前記大通りに出る必要がある。そして別紙添附図面表示のル、リ、ノ、キ、ルの各点を順次に結んだ直線に囲まれた巾一間長さ約七間の土地を通行することにすれば、原告の右必要は充たされるとともに、右部分は高橋の借地のうち西側の他の土地に隣接する部分であつて、高橋の右借地部分にとつては損害の最も少い箇所であるから、原告は右ル、リ、ノ、キ、ルを順次に結んだ直線内の土地を通行し得るものといわなければならない。そして右袋地通行権は法律上当然に認められる一種の物権的な権利であるから、一般第三者に対抗し得るものであるところ、被告等は前述のように建物及び板塀を建築所有することによつて、原告の右通行権を妨害しているので、被告等は原告に対し右図面表示のル、キ、及びリ、ノの各二点を結んだ直線上に設置された板塀を収去して、右妨害行為を停止し、原告が右場所を通行することを許容すべき義務があること明らかである。よつて原告は被告等に対し請求の趣旨記載のとおり右各義務の履行を求めるため本訴請求に及んだ次第であると述べ、被告等の主張事実のうち、戦災前原告が高橋から賃借していた建物について登記がなかつたことは争わないが、その余の事実はこれを争うと陳述した。<立証省略>

被告等訴訟代理人は、原告の請求を棄却するとの判決を求め、答弁として、原告主張の事実のうち、原告主張の二筆の宅地が伊藤重兵衛の所有であること、同人が昭和十九年五月以前から高橋茂に右土地を普通建物所有の目的で賃貸していたこと、被告等の先代宮城実が原告主張の頃原告主張の建物及び板塀を建築しこれを所有してきたこと、右宮城実が原告主張の日に死亡し、その妻である被告宮城多栄子、長男である被告宮城宅郎、次男である被告宮城達郎がその相続をしたこと、被告等が現に右建物及び板塀の所有者であり、その敷地を占有していること、戦災前原告主張の場所に原告主張のような袋小路が設けられてあつたこと、原告主張の木造木板葺平家建居宅一棟建坪七坪が原告主張の場所に存在することは認めるが、その所有者が原告であること、高橋が原告主張の場所に木造瓦葺平家建住家一棟建坪十坪五合を建築所有していたこと、原告が弟新島力を代理人として高橋から右建物を原告主張のような約定で賃借したことは知らない。その余の事実はすべて否認する。(一)戦災後高橋が原告の弟新島力に対し本件土地のうち約七坪を貸したことはあるが、原告が原告主張の頃借地権の譲渡の申出をしたことはない。(二)仮に原告が原告主張の約十六坪の土地について借地権を取得したとしても、被告等の先代宮城実は昭和二十四年十二月頃高橋茂から別紙添附図面表示のル、オ、ク、ヤ、ニ、ラ、ヰ、リ、ルの各点を順次に結んだ直線に囲まれた土地についての借地権を譲受け、被告等は相続により、その借地権を取得したものであつて、処理法第十条の規定によれば同条所定の借地権は借地権の登記及びその土地にある建物の登記がなくても、昭和二十一年七月一日から五カ年以内にその土地について権利を取得した第三者に対抗し得るものであるけれども、右規定は罹災建物の減失又は疎開建物の除却当時その借地権が第三者に対する対抗要件を備えていたことを前提とするものであり、もともと第三者に対する対抗要件を備えていなかつた借地権に地上建物の滅失や除却によつて新たに対抗力を与える趣旨の規定ではないところ、原告主張の借地権はその登記もなくまたその地上に存した罹災建物の登記もなかつたものであるから、原告は被告等に対し右借地権を対抗し得ないものである。(三)また仮に原告が原告主張のような借地権を有するとしても、高橋茂はその賃借土地のうち原告主張の約十六坪の土地の北方側にあたる部分に巾約三尺の私設道路を原告のために新たに設定し、原告は右通路により公道に到り得るものであるから、右約十六坪の土地は袋地とはいえないから、原告の袋地通行権の主張は失当であると述べた。<立証省略>

理由

東京都文京区駒込浅嘉町百一番地宅地百三十八坪五合三勺及び同所百二番地宅地二百六坪二合三勺の二筆の土地が伊藤重兵衛の所有であること及び同人が昭和十九年五月以前から高橋茂に右二筆の土地を普通建物所有の目的で賃貸していたことは当事者間に争がなく証人新島力の証言及び同証言により真正に成立したと認める甲第一、第二号証によれば、高橋は右百二番地の宅地のうち約十六坪の土地の上に木造瓦葺平家建住家一棟建坪十坪五合を建築所有していたところ、原告が弟新島力を代理人として昭和十九年五月一日高橋から右建物を原告主張のような約定で賃借し、爾来右建物に居住してきたが、右建物は昭和二十年五月二十五日空襲により滅失したこと、原告が新島力を代理人として昭和二十一年九月十七、八日頃処理法第三条の規定により高橋に対し右賃借建物の敷地約十六坪について同人が有する賃借権の譲渡の申出をしたところ、高橋はこれを承諾したことが認められる。被告等は戦災後高橋が原告の弟新島力に対し本件土地のうち約七坪を貸したことはあるが、原告が高橋に対し借地権の譲渡の申出をしたことはない旨主張し、証人高橋茂は右主張に符合し、前記認定に副わない供述をしているけれども、右供述は前顕証人新島力の供述に照らしにわかに措信しがたく、他に右認定を覆えすに足る証拠はない。右事実によれば原告は爾後原告が戦災前に賃借していた前記建物の敷地について高橋が伊藤に対して有していた賃借権を取得したこと明らかであり、その内容は高橋が従前有していた借地条件と同一であるが、その存続期間は残存期間不明であるから、処理法第十一条の規定により少くとも昭和二十一年九月十五日から十年間であるものといわなければならない。そこで原告は同人が取得した借地権の範囲は別紙添附図面表示のチ、ヌ、タ、ツ、チの各点を順次に結んだ直線によつて囲まれた部分であると主張するので、按ずるに、被告宮城実本人尋問の結果によれば、宮城実は昭和二十四年十二月頃高橋茂から前記百二番地の宅地のうち現在被告等の所有建物が存在する部分百坪の借地権の譲渡を受けたのであるが、同所に建築を始めんとするにあたり、昭和二十五年二月五日頃原告、高橋、地主伊藤の代理人清水武夫、建築請負人伴仲信次等立会の下に借地の範囲を明確にしたのであつて、その際高橋は原告所有の木造木板葺平家建居宅一棟建坪七坪の東南隅の柱の位置(別紙添附図面のメ点)から四尺の距離のところが原告と被告等の借地の境界線であると主張したのに対し、原告は二間の距離のところを境界線とすべきであると主張し、結局宮城実が譲歩して六尺の距離のところ(右図面表示のリ、ソの二点を結んだ直線の位置)を境界線と定めた(これがため宮城実の譲受けた借地権の範囲は約十坪減つた)ことが窺われるが、これは宮城実が原告の借地の範囲を認めたというのではなくむしろ、原告の借地権の範囲が明確でなかつたので、当事者相互の譲歩の結果一応右のように境界線を定めたものというべきであつて、右事実によつて原告の借地権の範囲が原告主張のとおりであると認めることはできないこと勿論であり、弁論の全趣旨によつても右図面表示のチ、リ、ソ、ツ、チの各点を順次に結んだ直線に囲まれた部分が、原告の戦災前賃借していた建物の敷地従つて原告が借地権を取得した土地の一部であることを認め得るにすぎず、同図面表示のリ、ヌ、タ、ソ、リの各点を順次に結んだ直線によつて囲まれた部分が原告の取得した借地権の範囲に属するという事実は、本件口頭弁論に現われた全証拠方法によつてもこれを認めることができない。従つて本訴請求のうち、原告が右部分に借地権を有することを前提とし、被告等に対し建物及び板塀を収去して右土地を明渡すべきことを求める部分は、その余の点について判断するまでもなく失当であるから、これを棄却すべきものである。

ところで右に認定した範囲の土地(すなわち右図面表示のチ、リ、ソ、ツ、チの各点を順次結んだ直線に囲まれた部分)については原告は借地権を取得したものであるから、更に進んで原告の袋地通行権の主張について審按するに、前記認定の事実及び検証の結果によれば原告の右借地部分はその借地権取得の当時南、東、北側は高橋の借地により、西側は他人の土地により囲繞されていて公路に通じないいわゆる袋地であることが認められる。元来民法第二百十条乃至第二百十三条の規定は土地の所有者相互の相隣関係を規定したものであるけれども、右規定により袋地の所有者に囲繞地通行権が認められる所以は袋地の利用を完からしめようという公益上の理由に存するのであつて、右法条の立法の趣旨も袋地と囲繞地との利用関係を調整しようというところにあるものと考えられる。従つて前示法条は土地の所有権者より伝来的に土地の使用収益権を取得している者相互間の土地の利用関係についても類推されるべきものであつて、例えばある土地の一部を賃借してこれを利用する者にもその土地が袋地である限り右規定を類推して袋地通行権を認めるを相当とし、その通行権は前示公益上の理由から法律上認められる権利であつて土地の所有者に対しては勿論、その土地の他の一部を賃借する者及びその承継人等に対して対抗し得るものと解すべきである。よつて前述の原告が賃借権を取得した土地が袋地である以上、原告はその囲繞地である前記百二番地の土地のうち高橋の賃借部分を通行し得るわけであり、右通行権を右土地の所有者である伊藤に対しては勿論、借地人である高橋に対しても主張し得ること右説明により明らかである。ところで被告等先代宮城実がその後高橋から借地権の一部を譲受けたことは前認定のとおりでありまた宮城実が原告主張の建物及び板塀を建築して所有してきたところ、右宮城実が原告主張の日に死亡し、その妻である被告宮城多栄子、長男である被告宮城宅郎、次男である被告宮城達郎がその相続をし、右建物及び板塀の所有権を取得したことは当事者間に争がなく、従つて被告等において先代宮城実の右借地権をも相続し、現に右建物の敷地について借地権者たる地位にあり、原告の前記袋地通行権を認容すべき立場にあること明らかである。被告等は原告の借地権はその登記もなく、罹災建物の登記もなかつたものであるから処理法第十条による対抗力を有しないから、原告は被告等に対して右借地権を対抗できない旨主張するけれども、原告の袋地通行権は土地の利用権に伴い法律上認められる権利であつて、一般第三者に対抗し得るものと解すべきであることは前に説示したとおりであるから、被告等の前記主張は失当であること明瞭である。次に被告等は原告は高橋が原告の借地部分の北方側に設けた巾三尺の通路により公道に到り得るものであるから原告の借地は袋地ではないと主張するけれども、証人高橋茂の証言(前記措信しない部分を除く)によれば、原告の袋地通行権の主張に対して高橋が一方的に被告等主張の場所に被告等主張のような通路を設けたことが認められるが、高橋がかように一方的に通路を設けたからといつて原告は右通路の敷地の借地権者である高橋からその通路敷地を転借したのでもなく、またその通路を通行使用する権利を取得したものでもないから、原告がこれを公道に通ずる道路として使用すべき義務も権利も発生せず、原告の借地は依然公道に通じない袋地であることにかわりはないから、被告等の右主張も採用の限りではない。さて、原告の袋地通行権を行使すべき場所については民法第二百十一条の規定を類推して通行権者たる原告に必要にして囲繞地たる被告等の賃借土地のために損害の最も少い場所を選ぶべきことは前段説明に徴し明らかであるところ、検証の結果によれば、原告が日常生活上前記通称動坂大通りに出る必要があり、そのために原告の借地の南方側を通行する場合と北方側を通行する場合とを比較すれば、北方側を通行する方が南方側を通行するよりも徒歩で十分以上迂回することになり、日常生活上多大の不便を感ずることとなり、原告として南方側を通行する必要があり、別紙添附図面表示のル、リ、ノ、キ、ルの各点を順次結んだ直線に囲まれた巾一間長さ約七間の土地を通行することにより、原告の右必要は充たされ、且つ右部分は囲繞地たる被告等の借地にとつては西側の他の土地との隣接部分であつて、原告に右部分の通行を許容することが被告等にとつて損害が最も少いものと認められるから、原告は右ル、リ、ノ、キ、ルの各点を順次結んだ直線内の土地を通行し得るものといわなければならない。そして被告等が右通行場所にあたる部分のうち右図面表示のル、キ及びリ、ノの各二点を結んだ直線上に板塀を設置所有していることは前述のとおりであるから、被告等は右板塀の部分を収去してその妨害行為を停止し、原告が右通行場所を通行することを許容すべき義務のあること明らかである。よつて本訴請求のうち原告が被告等に対し右板塀の部分を収去すべきこと並びに原告の右通行を妨害しないことを求める部分は正当であるから、これを認容すべきものである。

よつて訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九条、第九十二条、第九十三条を適用して主文のように判決する。

(裁判官 飯山悦治 鉅鹿義明 輪湖公寛)

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